びんご表の歴史(広島県)
広島県で生産されるびんご畳表は天文、弘治(1532-57年)の頃、山南村(現在の広島県沼隈郡沼隈町)で水田にい草を栽培して引通表を織ったのが始まりです。慶長5年頃(1600)には長各川新右衛門が短いい草を利用した中継表を考案して畳表の量産を可能にしました。時の芸備の殿様福島政則公は、近郷に代官を派遣して中継表の製繊技術をひろめました。後の水野、松平、阿部の福山藩主もびんご畳表を備後の国の特産品として保護奨励し、品質管理にもきびしかったので、早くから宮中や幕府の御用表や献上表の指定銘柄となって、年と共に名声を博し名実共に不動の地位を築き上げまた。