畳の歴史
●「古事記」に倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の際、弟橘姫(わとたちばなのひめ)が入水のくだりに「海に入らんとするときに、菅畳八重、皮畳八重、絹畳八重を波のうえに敷きて、その上にくだりましき」とあり、また神武天皇の御歌にも「あし原のしけき小屋にすが畳いやさやしきて我二人ねじ」ともあります。 古来畳が敷物として使われていることがわかりますが、この頃は、現在の莚(むしろ)のようなものであったと思われます。●現在の畳の形式をとるようになったのは平安朝時代で、当時は「厚畳」と呼ばれ、円座、莚等と区別れ、高貴な方の敷物で、身分によって畳の大きさ、縁の生地、色を違えていたようです。●天皇、上皇等の最高位の人々は、幅9尺(273cm)、長さ16尺(485cm)の大きな畳に縁は玉虫網の繧繝緑。 下位の「六段になると、座ぶとん位の大きさで縁も黄色一色であったようです。これらは当時の絵巻物に描かれており、「北野天神縁起」には菅原道真の政敵藤原時平が厚畳に臥しているさまも描かれています。●身分による畳の差別は、江戸時代中期まできびしく残り、明治維新後、新政府になってはじめて畳の使用、縁の種類等も自由になりました。